第1話

 ぱぁん、と鼻にかかったような鳴き声をあげて、蒸気鉄道が過ぎ去っていく。少し遅れて、風が夜のカーテンをわずかばっかりはためかせた。裾からは、焼けた銅版色の夕暮れがもれて、ちろちろと無骨な荷馬車を舐める。
 荷馬車を曳くのは、今、ぶるりと身体を震わせた、雄のコマティだ。たっぷりと伸びた眉とも前髪ともつかないものが、すっかりその双眸を隠しているせいで、年老いていることしかわからない。

「ねえオジジ、腹時計によると、じつに三日ぶりのアラネアさまだよ。このところ日付がさっぱりだ」

 のんびり体を震わせていななくオジジの頭(こうべ)を、アカリの指がやさしくかいた。鞍に乗ったまま手を伸ばし、反対の手でブラシを拾っては、分厚い毛束をくしけずる。地に足を着けようとしないのは、寝床に入る前の惰性からだ。オジジ、すまない。呟いて、アカリはブーツの紐を解く。
 するりと潜り込んだ寝床は、つい先だって、この前ポルトロで見た塩漬けニシン入りの木箱のような頼りないやつから、小さなほろ付きの荷車になった。中にこもって、使い古した厚手のブランケットにくるまれば、なんとか冬の夜更けも寒くない。
 隅においやられた商品と、うずたかく詰まれた本や紙束の合間に身を寄せ、ランプをたぐり寄せる。カルシウムカーバイドの塊に水滴が垂れると、浮かび上がる彼女の生活空間は、まるで本屋か書庫のよう。
 中に敷いた藁がむわりと香って、あったかい。

「お休み、オジジ。街に着くちょっと前に起こしてね」

 民族文様の刻まれた鞍がアセチレン光にしゃらしゃらきらめく。大ぶりの角を重たげに振って、おじじはもひとつ、いなないた。

――煤けきった古いランプでは、本を読むのもすぐ限界がくるかしらん。眠れなかったら星を眺めよう。遠くにまだ人の灯りは見えないけれど、図書館があれば、次の町に何日もいよう。期待に鼻先がむずむずうずく。

 朝焼けまでを、歩き続けるオジジと待つ。朝起きたら、熱いお湯をかんかん沸かして、最後の干し肉をスープにして飲んでしまおう。街に着いたら、朝市を覗いて、宿での自炊生活に食糧を買おう。わたし明日はタマネギが食べたい。大事な稼ぎのもとになる新鮮な乳は、オジジとの出発の日の朝買えばいい。そして宿屋の馬屋で、とびっきりの飼い葉を頼もう。そこで眠りながらわたしの居ない間をのんびり待つオジジが、幸せな夢を見て過ごせますように…。

「お休みなさい、わたしのコマティ」

地平線の平野に、オジジの呼吸といななきが響く。
港町ポルトロから早三ヶ月。アカリ・トトゥルムの荷馬車はまだ、蒸気都市へはほど遠い。


ミセラニシア大陸 平原地域の地平線にて

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