魔女の森にて
第11話
グリーンティーは舶来品だというが、実は昔から魔女の森にあったものではないかとアカリはふんでいる。だって、あんまりこっくりとした緑色なのだ。
砂糖のほかにミルクを加える勧められた飲み方で、マグを傾けこくこくと内側から暖を取る。
荷馬車の幌には彼女の手形によく似た葉がふかふかと積もっていた。ひらり、また一枚降ってくる。森は深く、緑をたたえ、木々の先を夕焼け色に染め始めている。秋である。
アカリが魔女の森に落ち着いて、もう何ヶ月経ったろう。
境目の森まで荷馬車ごとオジジを空輸してきたユノへ金貨とトットとを受け渡し、ザイデン街道で仕入れた硫酸塩鉱物を“砂漠の薔薇”と町まで売り歩き、得た収入で今度は本を買った。
アカリの荷馬車にはもともと本がうず高く積まれていて、町で買ったものはそれに比べたらほんの数冊ぽっちだった筈だが、オジジのところに戻った頃には、両手いっぱいに抱えた本の山でふらつくアカリは前が見えなくなっていた。商業連合の支部に顔を出した所為だ。
「今年もやるんだろう」やら「倅も絵本は卒業で」やら言いながらアカリに寄付を施していった商人たちに悪気はなく、彼女としても有り難い限りだったが、そのうちの数冊にかかっていた呪いを払い終わる頃には両腕に抱えて荷馬車まで往復8回分という途方もない仕事の山が残されており、彼女にひとの身勝手さを嘆かせたものである。首には、本同様つぎつぎに寄付された鍵が束となって、華奢な肩にずしりとくい込んでいる。手伝いを頼もうにも、商館には手の空いている者が誰も居なかったのだ。夕餉のにおいに忠実で、腹時計の螺子を巻き忘れる者がないのがこの森だ。
「魔女の森の住民は、夕食を重要視しすぎていると思う…」めずらしくぶちぶちこぼすアカリも、森の豊かな恵みには数日と待たず心を許した。曰く、「こんなに美味しくては仕方あるまい」と。
嗚呼、刃金蟲のカトラリーがすうと入る、やわらかな鹿肉鴨肉兎肉、川辺できらめく魚はみな骨まで小枝のようにぽきんと折れ、熟した果実はどれも砂糖より甘ったるい。クィナクィナのジャムに、ぐずぐずになるまでオーブンで焼かれた死神林檎に…。はて。
「黄金の林檎って、美味しいんでしょうか」
ガタン!
図鑑をめくる手を止めてぽつりと呟くアカリの声に、枝の先を幌にぶつけんばかりの勢いで立ち上がったのは隣で腰掛けていたドライアドの少女で、名前をノキという。思わずそちらを振り返った。種の特徴である角のような細枝はすっぽりと帽子の下に隠されているものの、折れてやいないかと冷やひやものだ。ノキもそう思ったのか、おそるおそる帽子の下に手を入れては確かめ、小さな声で「…よかった折れてない」と息をつく。痛みもないようだ。アカリも胸をなでおろした。
「ノキさんはずうっと森でしょう。ドライアドですし、さぞ植物には詳しいのでは」
「な、なな何のことかな!私はドライアドなんかじゃないぞ人間だぞ!」
「そうですか、そうですか。ところで、枝に怪我はありませんでしたか?」
「ああ。ただちょっと額をぶつけたんだ…少しじんじんするな…」
「そうですか、そうですか。それで、黄金の林檎の話ですが」
「知ら、知らないなー!あんなにピカピカ光って目立つもの聞いたことないなー!」
魔女様、この騙されやすい女の子を悪徳商人のいない森の奥に住まわせたことを感謝します。
足で引き寄せた外の水桶でタオルを濡らし、絞って渡してやれば、ノキは礼儀正しく感謝を述べた。額にタオルを乗せたのを見届けてから、アカリはまた図鑑の続きを膝上に開いた。挿絵には林檎金ぴかに輝き、“万能の果実”の注釈がついていた。味は、載っていなかった。
アカリがノキと出会ったのは前回魔女の森を訪れた時で、実に2年前のことになる。
星降りの日の祭帰り、星の欠片と銘打たれた菓子をこちこちやりながら、アカリはオジジを引いて歩いていた。空のカーテンは高くひらめき、しらじらとした光を投げかけている。後ろを誰かがついてきていると気付いて盗賊対策の魔法道具をいくつか握り込んだのと、ノキがいかにも勇気を振り絞ったらしい上擦った声を掛けてきたのはほとんど同時だった。振り返れば、夜のなか、アカリには何故だか彼女がほんのり黄金色に輝いて見えたものだった。アカリが目をこすると、それはすぐにおさまった。
「…ええと、何でしたっけ?」
「だ、だから!『貴方は本屋さんですか』とたずねたんだ!」
その後、彼女が如何に世間知らずで、生まれてこの方ほとんどの時間を森の奥で過ごしてきたと知ったアカリは、ぴんと尖らせた耳の先まで赤く染めて震えるこの夜のノキを思い出すたび申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
とにかくアカリは本屋ではない。本屋ではなければ移動図書館かと期待ではちきれそうな胸を押えて問うノキに、まあそんなものかと答えてしまったのは、今でも如何してかわからない。
読みたいんだ、貸してくださいと頭を下げられれば、元々が本好きのアカリである。まずは試しと一冊。読み終われば二冊三冊と貸し出すうち、荷台に詰めこまれた物語を全て読み尽くしそうなノキのために、そして何より自分のためにと本を仕入れ、荷台からあふれた山を商館で借りた棚に並べして、気付けば立派に本屋か図書館のていが整っていた。
宣伝する気もないのに頭上を飛びかうティケラスは我先にと町へ向かって、行商の新商品についてぺちゃくちゃ喋る。売る売らないの問答を最初のひとりと交わしたところで、とうとうアカリは面倒になって「ここは移動図書館ですので」と口にしてしまったのだ。
魔女様のお膝元で二言をいうアカリではない。かくして、アカリの荷馬車は名実ともに移動図書館となった。
「なあ、アカリはいつ森を出るんだ」
言外にまだ行かないで欲しいとにじませるノキは、人の裏表を覗いてきた行商人のアカリには可愛らしく、尊く思える。
「そうですねえ、冬には次のところに行かなくてはなりません」
「冬って、もっと具体的に、いつだ」
「そうですねえ、豊穣の日のお祭はこちらで見ていきたいと思いますよ」
「贈り物の日は?贈り物の日はまだ居るか?あの祭もすごいんだ、居たほうがいい」
そう引きとめながらも小さく「すごいらしいんだ…行ったことないけど」と付け足さずにいられないようで、ノキは枝の後ろをしょりしょり掻いた。
2年の間を空けて、秋をまるまる2回分、アカリの荷馬車に通って過ごした彼女は、如何やらアカリがもともと移動図書館をはじめるつもりがなかったことに気付き始めている。直接「まだ移動図書館をやっていてくれ」と頼み込めないところが去年と違う。悪戯を見つかったばかりの子供のような顔をするドライアドの女の子は、アカリよりも背が高いのに、ずっと幼くみえた。
確かに、アカリはもともと森での移動図書館なんてはじめるつもりはなかった。
――ただ、図書館員となれば話は別だ。そこのところを知っているのは、草原地域で牧場を構える女の子ばかりだが。見開いた図鑑に自分ごと挟み込むように、アカリは膝を抱えた。
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「わたしは、大商人になりたくて旅をしているのでも、家族と再会したくてしているのでもありません」
ぱちぱちと薪が爆ぜる。レイニーウィークのマクスウェル牧場で、ユノはもう話に相槌を混ぜてこなかった。言葉少なにぽつぽつとだが、アカリが自分の話をするのがめずらしかったからかもしれないし、彼女がそれだけ疲れていたからかもしれない。旅の目的を「後でお話しますよ」とアカリが会話を締めくくってから、日もアラネアのカーテンに包み込まれるように落ちた。夜半に、暖炉の火だけがあかるい。
「昔、トウカ族の集落で暮らしていた頃、わたしは読み書きが出来なかったんですよ」
「うそ」
「本当です。わたし達は言葉さえ話せればよくて、文字は伝えなかったんです。でも、ある日集落の大人が交易の帰りに本を持って帰ってきました。グランノルディカの魔導書図書館で借りてきたんだそうで、当時はまだ出回りはじめの…ほら、覚えてますか、とびだす魔導書。子供向けの、魔法仕掛けの絵本です」
呟くように云いながら、アカリはすうと目を閉じた。手を伸ばして、見えない絵本のページを捲るような動作をみせた。彼女は彼女の記憶の書庫に、今まで読んだ全ての書物を一字一句、ページも違わず複写していて、時々こうして記憶の本を手に取った。
「今でも覚えていますよ。『ねずみの領主さま』というのです。立派な尻尾を揺らしたねずみはまっちろで、ふっくらとしていて…。わたしは夢中になって読みました。文字も大分覚えましたよ。わたし、その頃から本が好きなんだ」
「…」
「ある夜のことです。草原はいちめんにカーテンの明かりをうけ、銀色の波となってさわさわと揺れていました。風の精がわたしの背ごとあたりを撫でて、寝なさい、もう寝なさいと云ったのですが、わたしは寝しなにもっぺんだけ本が読みたくって」
「…」
「夜更かししていたら、空から、こう、つうと星が降ってきたんです」
「…流れ星にあたったの?」
「それがね、わたしじゃなくて、流れ星はわたしの膝の上の本の、ねずみの領主さまにあたったんですよ。そうしたら、彼はびっくりして、絵本から大きく跳ねあがって、そのまま鳴いて逃げていってしまいました」
「うそ」
くすくすと笑うユノは、眠気に呑まれかけているらしい。女傑然とした彼女のあどけない顔を見るのは初めてだったが、アカリは目を見開くこともなく、ぱちぱちと瞬いて「本当ですよう」とだけ口にした。案外、自分も子供のころと同じ表情をしているのかもしれないと思う。穏やかに、過去の情景がよみがえる。
「図書館の本は、期限がきたら飛んでかえってしまうというから、わたしはその期限いっぱいまで草原を捜しまわったのですが、あの小さなねずみは見つかりませんでした。とうとう期限が来た日には、拳骨を覚悟して震えていました。でも、本はいっこうに飛び立ちません。主人公が居なくなってしまったからでしょうか」
「…」
「わたしはね、ユノさん。実のところは、魔導書図書館の司書になりたいのです。そのための勉強もいっぱいしたいんだ。でも、まずは彼を捕まえて本を返さないと。だから、あちこちこうして旅をして…ユノさん?」
ユノさん。ユノさん、寝ましたか――…。
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すっかり温くなったグリーンティーに口付ける。
荷台に腰掛けたまま視線でノキを捜せば、もう真剣な顔で分厚い冒険書を読んでいる。あちこちの棚にのぞく利用者はほとんどが既に見知った顔で、2年前に通ったドワーフの子供が弟妹を連れてきては絵本をつついているのも、友人らしい壮年の獣人とエルフの若者が同じ本を開いてああでもないこうでもないと小声で言い争うさまも、毎日食事時の前にふらりと立ち現れては料理本を暗記して帰るとんがり帽子の女性も見えた。
移動図書館のかたわらに営業を続ける露天へは、時折、ひょこひょこと二足歩行で動物たちがやってきてはフィル硬貨代わりのどんぐりを届けてくる。どんぐり受けに貯まるお代と引き換えに、調味料や小麦粉がよく売れた。ひとの客の方は、ずうっとまばらだ。
「…ねえ、オジジ。ノキさんが読む本を、また仕入れに出なきゃならないようだよ」
「帰りにおいしい林檎を買おうか」独りごちて、商業連合の仲間が首へかけてくる紐を通した鍵を撫でる。どれも余り物の不用品だろうが、首飾りというより、蒸気都市のトットレースで掴んだ賞牌によく似て誇らしい。幌馬車を降り、アカリはとことこ歩き出した。
魔女の森の秋は深く、冬はまだ遠い。