厳雪地域 死者の村トラパルテーダにて
第13話
「頼もう、頼もう!猩々殿はおられるか!」
頬を殴りつける吹雪がごうごう上げる風の音に、アカリの声は発したそばからかきけされてしまったようであったが、それでもよかった。風の精霊に言伝を頼むような気持ちでいたほうが、彼らに雪山の腹をくすぐられずに済むというものだ。
オジジの蹄は平生以上に鈍く、足を上げたくないという彼の意思が感じ取れたところで、アカリは腰を落ち着けることにした。吹雪避けの結界は荷馬車とコマティをすっぽり覆った。かじかむ手でカーバイドランプを灯し、顔をあぶる。
張った結界が雪に埋もれ、またその雪が上から圧しつけられて凍り、また雪が重なり、ちょうどよいかまくらにすっぽりアカリ達が埋まったころのことだ。ようやく、雪山の村の使者が此処をノックしたのは。
まず、結界を磨りガラスにせんと、見るからに乱暴な大腕がざりざり掻いた。低い唸り声が聞こえた気がしたが、風の精霊と雪の精霊と、あるいは彼らの誰が発したのかアカリにはついぞよくわからなかった。オジジの毛の氷をもみほぐす手をとめ、ひとつ咳払いをしてから声を出した。台詞は年々ずうずうしくなっている。
「あいすみません。寒いので、結界ごと運んでいただけますか」
雪山猩々が二歩三歩と下がる気配を察して、アカリも雪間からのぞいた結界越しに向こうをうかがう。目の前にぼやけて見えた衣装は、銀世界には目立つ墓守のそれで、見慣れた背丈に彼女がまだ代替わりしていないことを伝えていた。
「…また、おいでになったのですか」
ミカの返答は短かったが、それが却って、アカリが訪ねなかった2年の間に何人の旅人が死んだのかを暗に物語っていた。
アカリたち行商人は、奇貨である。すなわち僥倖である。彼らが訪れたとき、その土地は一時の潤いを得るかもしれない。しかし、彼らは毎度やって来るとは限らない。行商の途中で盗賊やモストロに襲われる、病に倒れる、財産を失う、あるいは命を落とす。行商路を誰かに任せる前に、遠くの町で生涯の伴侶を得て定住することもあるかもしれないし、店を構えるかもわからない。だから、あてにすべきではない。
そこのところは、運よく回復した旅人も一度見送れば二度と戻ってこないというトラパルテーダの村人として、ミカもよく承知しているはずだ。むしろ、販路も途絶えた村で行商人の再来を歓迎することすら無いのはこのトラパルテーダくらいのものだ。どこまでも、この村は雪山の棺おけだった。
「猩猩様への貢物です。この2年で馬車も幌を張るほど大きなやつになりました。酒も薬も食糧も、オジジが曳ききれないほど積んでありますよ」
「助かりますわ、本当に。さあ、村へご案内しましょう」
猩々様が結界ごと運んでくださるそうですから。びょうと吹きつけた雪嵐にまぎれて「有り難いねえ、本当に」アカリはオジジに耳打ちひとつ。
光魔法の金文字が、雪山猩々を傷付けないよう、くるりと勝手に彼らの手を避ける。持ち上げられると、透きとおった結界は丸氷によく似ていた。
猩猩が一歩踏み出すごと、荷馬車の梁はみしみし唸る。カーバイドランプの火を消しながら耳をすませば、結界越しに吹雪が咽び泣く声は幾分か遠のいたようだ。猩猩が雪避けでもしているのだろう、あるいはミカか。魔法を詠むのがそう得意でないためか、アカリにはどちらの仕業かはとんと判別がつかなかった。ふうと息をついて、揺れが収まるのを待つ。地図にない村への道筋は、彼らの案内なしには辿れないのだ。
村に入ると、ミカの足取りは雪上とは思えぬ軽やかさで、アカリにはついて歩くのがやっとである。とはいえ、アカリ生来ののろさからくるところもあるのだろう。初めてこの村へ辿り着いた日も、雪に取られて捻った足で彼女の後を追ったものだが開いた距離はやはりこんなものだったような気もする。
招かれた墓守の家の前で雪を払い、他の村人たちと顔を合わせることがなかったなと思い至ったのは、もう玄関の扉を閉め切った後だった。果たしてこの村には何人が暮らしているのだろうか。たずねたところで、次に来るまでには増減しそうなものである。残念ながら。
アカリは元々、このトラパルテーダを行商以外で訪れたことがあった。遭難で、だ。
てっぺんまで雪に埋もれていく結界の中、オジジにひしと抱きついて、眠気に身をゆだねかけたとき、ミカと雪山猩々があらわれた。ぱちんと割れた結界の中央、かまくらの真ん中で凍えているアカリは今以上に幼く、商人というよりその子供にしか見えなかったことだろう。荷馬車とコマティごと抱えられ、目を覚ました極寒の村で、アカリは荷と引き換えに命を拾った。たっぷり幼子扱いされ遺児扱いされ、荷馬車の主はわたしですと言い出す機は歴戦の商人たるアカリにもなかなか読みづらいものがあった。言い出したところで、猩猩の手により荷は既に空になっていたわけだが。
翌年の冬、雪山猩猩が喜びそうな荷を積んでアカリはトラパルテーダを目指したが、あえなく遭難し、再びミカと猩猩に救出されたのだった。これでは恩を返しにきたのか恩を着にきたのかわからない、とはオジジだけにこぼした独り言である。
「して、例の物は」
「遺品は全て確認後にすべて納屋へおさめさせていただいています。遺骸には墓碑を」
「墓守さまを疑うわけじゃありませんが、それで全てですか?」
「商業連合の紋章がかわってさえなければね」
今度はアカリが困った顔をしてみせた。押し黙ったアカリのまとう雰囲気から、ミカはそれを敏感に察知する。「遺児は」と問う声が喉の奥で縮こまってしまったのは、この家の中ですれ違った少年がその身に墓守の衣装を馴染ませていたせいだろう。
この村では人が死ぬ。ばたばたと死ぬ。それは子供であっても、否、むしろ身体の弱い子供こそ危うい。そして、村の生死を分ける墓守候補は、子供のうちにその教育を受けるのだ。村の期待を一身に背負って。
「あの子は村の出身です。商隊の方々の忘れ形見は、この奥に」
眉をひそめた気配すら目を閉じたまま察するこの娘が商売敵で無くてよかったとアカリは内心小さく胸を撫でおろしながら肯き、少し遅れて「よござんした」と返事を返した。アカリには誰が商連に属する者かは判別がついても、どの子供がその遺族かまでは判らない。そこのところは墓守に、つまり猩猩の選別に任せるしかないのだ。誰を連れ帰っていいのか、そして、何を持って帰っていいのかも。
過ぎった部屋の扉から引き摺るような子供の足音が聞こえた気がしたが、きっと自分の立てた音だろう。ぐずりと小さく鼻を啜る。少し遅れて、アカリはミカの後をとことこ追った。
そろそろ夕餉の時間だろうか。魔女の森で秋を過ごしてからというもの、暗くなると無性に腹が減るようになった。荷馬車に積んできたオジジの飼い葉の数をそらんじながら、あたたかい小屋の中で眠気に目をしばたく。
「しもやけがかゆいです」
外はごうごう、吹雪いている。
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平原地域にあって定住地を持たないトウカ族は砂浴びやたまの川辺で沐浴することこそあれ湯浴みの習慣はなかったが、アカリは旅を重ねてからというもの、宿を取る際にはできる限り湯船のあるところを選ぶようになった。一度味を占めてしまうと、魔導コタツもかくやという蕩けるような快楽に抗えようものか。「ふおおお…」指先が熱を吸ってじんじんとしびれる。はらいそ、はらいそ。
アカリ同様に湯治の虜となった癒しの精霊から漏れっぱなしの光をようく揉み込んで極々軽い凍傷を癒し、ふらふら夢見心地で風呂場を抜けると、途端身を縮みあがらせる寒さに眠気が覚めた。濡れた髪から寝巻きの肩にぱたぱた滴をしたたらせながら、暖炉前までそそくさ避難する。顔と頭と手のひらとを炙りながらくつろぐことしばし。「わあ」背後から突然襲い掛かってきたタオルに、アカリはなすすべもなく髪をかき回された。
「何やってんだ!濡れたところから凍って腐り落ちちまうんだぞ!」
もしもその時、アカリが彼の手をかいくぐり振り返っていたとしたら、鬼気迫った少年の顔が見えたことだろう。乱暴な手つきと張りつめた声に、アカリは数秒たっぷり口を開けたままわしゃわしゃとやられっ放しでいた。
タオルがあらかたの水気を吸いとり重くなったところで、ようやくアカリは口を閉じ、開きなおす。「あなたは」言いかけて、タオルを掴む手のひらが自分と変わらない小ささであることに気付き、言葉をつむぎ直した。
「君は――。ははあ、もしや商隊の生き残りの子ですか」
「…お前は違うみたいな言い方だな」
「わたしは相棒とふたりきりで此処まで来ましたからね」
「…ふうん。で、その相棒は」
「小屋の藁床に座り込んでいる頃合いですかね」
「なんだ、元気なんじゃん」
やわらかくなった手つきと声に、アカリもむにゃむにゃと返した。「ええ。おかげさまで」
そして同時に察する。彼はどこかの商隊の遺児だ。動きに不自由なところは無さそうだが、少なくとも身内が凍傷で身体を駄目にしている。程度は、まあ、軽くはなかろう。命があるかも怪しいところだ。
「大人は助けてもらえないのかと思ってた」
ぽつりとこぼれた声は、暖炉端でぱちりと爆ぜる。
アカリも思わずぱちぱちと瞬きを繰り返した。
少年はどうやら勘違いをしている。自分の相棒はヒトの大人ではなく、コマティなのだと説明しようとして、止めた。アカリほどの年頃で各地を渡り歩くなど、商業連合の大人ですら大丈夫か大丈夫かと疑うのだ。この少年に告げたところで信じまいし、詮無いことだ。
代わりに、卵の薄皮のような沈黙をやわらかく裂くことにした。
「もう、ひと月ばっかりで贈り物の日ですね。贈り物の日はご存知ですか」
「……今、そんな時期なんだ」
「そうですよ、明日は豊穣の日です。ですからわたし達もくつろぎます」
「日付の感覚がばかになってたみたい」
「もうそろそろ考えないと間に合いませんよ。魔女さまの贈り物はなにを頼むのですか?」
またゆっくりと沈黙が膜をはる。アカリはそれがいくら長引いてもさして気にならない性質で、だから部屋の入り口にそっとミカが立ったことも、彼の激昂にその足を止めたのにも敏く気付いた。
「お前、まだ魔女様のこと信じてるのかよ!見てるわけないだろ!こんなとこ!」
ごう。窓の外を激しく吹雪が打つ。
「来るわけないんだ!すごい魔法使うんだろ!いたら商隊のみんなも救ってくれたはずだろ!」
「…あいたたた。髪を引っぱらないでください。痛いです」
「あ。ご、ごめん」
アカリは頭を抱えてつむじを暖炉の火にあぶらせ、ごうごうと揺れる窓枠とミカの足を制するように、身を起こし、皮袋から金貨を撒いた。火の精とつないでいた手を放し、光の精たちがその表面に祝福のキスをあびせまわる。部屋じゅうが目も眩む金色に輝いたのはほんの数瞬だったが、アカリがゆっくりと首にタオルを掛けなおすだけの時間は稼げたらしい。悪い買い物ではなかった。
「この地に住まうは、ご覧、偉大なる蜘蛛の魔女アラネアさまです」
指先でぱちんと金貨を打てば、暖炉の中から光の精がまたキスを投げた。
「魔女さまはいますし、魔法もあります。君は町でパンを買ったことがありませんか――そうですね、パンはせいぜい穴あき小銀貨が数枚ですが、君はそのとき対価を払って品物を受け取るでしょう。これが契約で、契約を精霊相手におこなうならばそれが魔法というものです。魔女さまというのは、ご覧、大金貨の一枚ににさえ宿って、我々商人を見守ってくださいます。このように、」
ぱちん、ぱちん。金貨を足すと、部屋はまばゆく窓外までを数瞬、照らした。
「そのお力は、借りられるならばより多くお借りするほうがよろしい。我々商人が魔女さまのお力を信じなくてなんとします。我々は日々、黄金色に輝く魔女さまを拝んで、この大陸の誰よりも貪欲に求めてまわるというに。信じれば、魔女さまはときに、」
床から金貨を片手で握れるだけかき集めると、アカリはそのまま暖炉に投げた。もう片手で張った結界は暖炉の中に落ちた大金貨を炎ごと押さえ、灰の中に消してしまった。
「ときに、奇跡を起こしてくださいます。さあ、今夜はもうお休みなさい。明日は豊穣の日ですが、明けて明後日はアラネアさまのお力をお借りして下山できますよ。今お願い申し上げましたからね。――それからね、もう恩義のあるところを、“こんなとこ”なんて言わないことです」
ほんとうは随分安心したのでしょう。アカリがカーバイドランプを点けて持たせてやると、少年は観念したようだ。「うん」とやけに子供っぽく肯いて、目元をこすった。
外ではもう、雪ばかりがしんしんと降り積もり続けている。廊下にも窓外にも、誰も立ってはいなかった。
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「此方です」
「ふむ、眠らせておくにはもったいない品です」
水上を歩けるのだから雪上も歩けるのではないかという目論見は半分当たって、半分外れた。アメンボカンジキに焼き付けられた刻印は、雪に抱きつかれてとても精霊には読めそうになかったが、意外にも魔法なしでアカリの身体を支えられる構造になっていたらしい。幌馬車からひっぱり出した残りのアメンボカンジキをそれでもひっくり返し、底面の制限加重を確認してしまうのは、商品の取り扱い方法を心得た商人の癖だろうか。脚を軽く叩くと、オジジは蹄を持ち上げて履かせられるままに任せてくれた。スキー板とどちらがいいかと比べて、オジジにあてたのは結局スキー板だったが、商品活用のアイデアは無駄にならないものである。
雪の悲鳴を踏みつけながら、アメンボカンジキでついていく。猩猩とミカが案内した倉庫には、商業連合員であることを示す紋章入りのボタンからがらくたにしか見えないものまで、様々な遺品が積まれていた。
ボタンの裏側に彫られた名前をひとつひとつ確認していく。鉄合金製、合金鋼製、石製に木製。蒸気都市に比べてあたたかみのある素材が多く、森に比べて合金製も多い。雪山を通う行商らしいボタンを撫ぜる。近年は頑強で扱いやすい合金が人気だが、それらはおよそ彼らの商品や、行商路、財力をあらわし、顔も名も知らない彼らの姿をアカリの眼前によみがえらせる。しばらく黙して、アカリは自分のボタンを撫ぜた。大ぶりの胡桃製ボタンは、芯に金ボタンを包んで留まっている。
彼らの積み荷は食糧品や衣料品、魔法道具が大半を占めていたらしく、幌馬車に載らない大きさのものはほとんど遺されていなかった。
あれこれと鑑定してまわるアカリを呼びとめてミカが示した品は、原動機として使用することは適わないであろう機械装置が転がっていた。申し分ない品だが、こんなものは大陸鉄道だって運んでやいないはずで、飛行船から落下したかとしか考えられない。こんな吹雪の山村の真上を通る飛行船空路なんてあったかしらんと小首をかしぎつつ、ひとまず燃料を確認する。空きっ腹ではないようだ。
「……眠らせないで、使っちゃいましょう。灰まみれのやつでもよろしければ、金貨一握りでいかがですか?」
上手いことやれば起きてくれそうですよと手を油で染め上げる。それについて、専門書の知識があったわけではなかったが。
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旅立ちは宣言どおり豊穣の日の翌日で、遺児たちも前夜のうちに挨拶まわりを済ませたらしい。アカリの髪を拭いていた少年が最年長らしく、怪我で動きの鈍い子供達へ何くれとなく世話を焼き、動ける子供にも慕われていたのには思わず目を細めてしまった。
目を丸くしていたのは少年の方で、幌馬車を前にアカリの相棒がコマティで一人と一頭旅をしていることを教えてやっても、オジジがぶるぶる頭を振っても、半信半疑のままだった。三割信七割疑といった方がいっそ正確か。やれやれと首をすくめつつ何とか起こした機械装置の空気吸入口へと簡単な雪避けの結界を張るアカリに、更に顔をしかめて言う。
「何それ」
「ああ…ご存知ありませんか。最近じゃ飛行船にもついてないことが多いですがね。蒸気都市じゃあ名の通った機械装置で、ジェット・エンジンといいます」
「いや、そうじゃなくて。何で機械がコマティの両脇に取り付けられてんの。見たことないぞ機械つきの幌馬車なんて!」
「わたしも今日初めて見るんですよ。ねえ、オジジ」
「初めて…!?」
すげー!何これー!
瞳を輝かせてジェットエンジンを叩き始めた年少の子供達を彼が危ないと叱りつける間に追求を逃れ、アカリは雪山猩々と、脇に控えるミカへ頭を垂れた。
「雪山の腹をくすぐってしまったらすみません」
「そうならないことを祈っています。子供たちを遺して倒れた先人達がお見守りくださいますよう」
「ありがとうございます。猩々様も、お世話になりました」
「それでは」もう一度頭を垂れ、アメンボカンジキを踏みながらアカリが行く。「チュッテ」ミカも傍らの雪山猩猩に声を掛け、坂道へそりのように荷馬車を押し出すのを手伝わせる。チュッテと呼ばれた雪山猩猩は歯を剥き、オジジに何か話しかけているらしかったが、アカリにも少年にも何を話しているものか皆目わからなかった。目を見合わせてまばたきをしていると、突然がくんと荷馬車が傾ぐ。
雪山猩々が突き落とすように押し出して、オジジの踏んだスキー板はみるみる加速して雪上を滑った。荷馬車も離れずそれに続く。「今度こそは、立派に恩を返しきりましょう」独りごちるアカリの声も、雪に吸われて消えたらしい。一拍遅れて、雪山には不似合いなジェットエンジンの音が聞こえてきた。
「なるほど、奇跡で、魔法だわ」
遠く、鉛色の空の中、ぐんぐん風を掴んで飛ぶ荷馬車の影を墓守見習いの子らがどよめきながら指し示す。彼らに何が見えているのかを聞き耳だててから、ミカはどよめきを鎮めて呟きを雪へと吸わせたものだった。
厳雪地域にひと月早く、スノーケルピーで空翔るアラネアさまを見たと人々がざわめく雪の日のこと。