ミセラニシア大陸 湿地地域の大陸鉄道路にて
ゆんさん宅 キリキタリスさんをお借りしました
第3話
ミセラニシア大陸にあって、今や蒸気鉄道はなくてはならない交通手段のひとつである。
コマティにまたがり放浪を繰り返す行商人、アカリ・トトゥルムもまた、乗車こそしたことがないものの、その恩恵を受けていた。
例えば、行商路に置いて、恩恵は目に見える形になる。線路と線路、駅と駅とが離れた中規模都市に荷を運ぶのは、貨物列車ではなく、アカリのような荷馬車持ちの行商人でなければならないし、その荷が駅に山とあふれるようになったことだってそうだ。(最も、コマティは鈍足だから、アカリはこちらの恩恵には商人仲間ほど与れてはいないのだが。)
また例えば、線路周辺の土地が整備されていることもそうだ。ひとの手の入った道には危険なモストロ達も寄り付きにくく、車輪に絡む草やつた、行く手を阻む倒木も落石もない――はずなのだ。大体は。
「これは、困った」
腕を組んで小首を傾げる。
かれこれ、朝食前から昼食を済ますまで、アカリは行商路の同じ場所から動かず、正確には動けず、うんうんうなり続けていた。
道が、大岩で塞がっているのである。
ポルトロ半島を抜けてからというもの、蒸気鉄道の線路沿いに、比較的整備された街道を、アカリは進み続けてきた。揺れの少ない道行は、荷馬車の音頭をオジジ任せに読書にいそしむにはもってこいだと横着したためである。どうも、それがいけなかったらしい。
アカリが気付かぬうちに、オジジの蹄は湿地区域に踏み込んでいたらしい。平原地域に比べて、特有の湿地植物やモストロ達の影響で地形の変化が激しいこの土地は、荷馬車で往くにはちとやっかいだ。
おまけに、車輪がぬかるみに嵌まってしまっていて、前にも後ろにも抜け出せそうにない。
「ねえオジジ。これはいよいよ、わたし達ここに幌付きの家を構えて終生仲良く湿り暮らすしかないようだよ」
アカリの言葉に、オジジが馬鹿をいうなと尻尾をぴしゃり、自分の尻に叩きつけた。
まさに、その時のことである。
閃光、轟音。
チカッと目も眩むような何かが、それは後から思えば矢のやじりだったのだが、文字通り瞬く間に大岩へと巨大植物を縫いとめた。植物は、もはやモストロと分類してやりたいほどびたびたうねり、暴れ、断末魔を上げて息絶えた。その壷型の口からだらだら垂れた溶解液が、濡れた岩をじゅうと溶かす。とどめとばかりに、矢を放った張本人であろう人影は、岩の残りを蹴り上げた。
「…わあ」
アカリには、一拍遅れてそれだけ言うのがやっとだった。
とにかく、道は開け、岩の下敷きになっていたのであろう分岐器は北側に平原地域往きの路線すらあらわしている。車体の急な傾きに、慌てて鞍にしがみつけば、荷の向こうに、人影が車輪をぬかるみから外している姿さえ見えた。
恩人に礼の一つも尽くせぬほど、部族の誇りは安くない。
オジジの鞍から転がるようにして降りると、駆け寄って深く頭を下げた。
「どなたかは存じませんが、困っているところを助けて頂き有難う御座います。しがない商人の身ではありますが、何か出来ることがあればお申し付けくださ……うわあ」
下げた頭を上げて驚いた。
恩人の顔は奇妙な面で覆われ、その禍々しさたるや形容するのも忍びない。面から漏れ聞こえる呼吸音は、アカリやオジジのそれとはまるで異なり生命の息吹をまるで感じさせないものである。長身痩躯の恩ある何かは、ぽっかりと、アカリを覆う影をぬめる湿地に落とす。
値踏みするようなその視線がじろじろと動くのを感じながら、アカリは、ああこれは死神というやつに違いないなと、ひとつ納得して頷いた。
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「あ。死神さま、平原スイバですよ。噛みますか?」
「……」
積み荷を挟んで向こうに腰掛けた死神から、また返事はもらえなかった。
オジジの横を、ゆっくりと平原スイバが流れていくのを見送り、まあいいかと読書を再開することにする。
恩人から死神に昇格した彼は、積み荷をざっと検分すると、特に物品を要求することもなく、何事か呪いの言葉(そうとしかアカリには聞こえなかった)を唱えながら東を指差し、どっかりと腰を落ち着けてしまったのであった。
初めはアカリも本など開かず、行儀よくオジジの鞍に揺られていたのだが、ふと小腹が空いて荷に手を伸ばした時のことだ。死神が何も口にしていないことに気が付き、初めに誘いの声をかけたのは。
しかしながら、大陸でも指折りの大きなポルトロ駅界隈で仕入れた、良質のオイルサーディンやら煙草やらを差し出しても、死神は幾らかアカリにはわからない呪詛を吐いて断るだけだった。だから仕方なく、自分だけ食べているという多少の後ろめたさを感じながら、アカリは炒りたての平原ムカゴと乳茶を頂くことにしたのだ。
終いには本まで読み始めてしまったが、おそらくは高位の精霊であろう死神に敬意は払えるだけ払ってあるから、まあ、いいかというのがアカリの考えなのである。
「死神さま、お名前は何ておっしゃるんです?」
「……」
「リス、見つかると良いですねえ」
沈黙も、何度同じ質問を投げかけることも苦にならないアカリが名を問うたり目的を問うたりするのを時折繰り返して知ったことには、「霧北リス」とかいう生き物の名前が聞き取れた程度である。
話題に合わせるように、アカリの指が『旧種族』の頁に入りかけていた図鑑をめくり、『草原地域の幻獣』を開く。当然ながら、そこに霧北リスなど載ってはいない。
目的地は魔女の森なのだろうか、この荷馬車はそちらへは進まないのだが、途中で蒸気鉄道の駅に降ろしてやるべきだろうかと思案をめぐらす。
「あ。死神さま、平原スライムですよ。食べますか?」
死神とコマティとコマティ商の、奇妙な出逢いの日のおはなし。