第5話 前編


「アカリちゃんが着いたぞ!」

 グランノルディカ商業連合会館の一階は、まるで大衆酒場のような造りをしている。
 それというのも、カウンターがあり(尤も、これは来客がチェックを行うためのものである)、テーブルがあり、椅子があり、酒や料理を厨房から運んでくるものがいるからだろう。その名の通り、商人の集まりが建てたこの場所は、儲けを取れるとあれば、同じ商人にも贅を振舞うのである。
 カァン! カラカラ…。
 幾つか重なり合うように響いたのは、手元の杯を取り落とす音に、盆をひっくり返す音。息呑むような間があって、それから一同、どっと、ちょうど厨房の鍋が吹きこぼれるのと同じようにわき上がった。

「おいヴェッカー!そりゃ本当かよ!」
「嘘じゃねえって、ほら、俺の後ろを御覧じろ――…あれ?」

 ヴェッカーと呼ばれたのは、はじめ商館に飛び込んできた痩せっぽちの行商人だ。彼はさも、自分の後に話題の人物が着いてきているかのように、やや芝居がかった動きで後ろを振り返ったが、そこに立つのは蒸気都市の喧騒と、反動で戻ってきたウエスタンドアばかりである。

「あれ? あれ?」
「なんだ、驚かせるんじゃねえよ」
「レンズ豆のスープ、後で弁償しやがれよ」
「おい、追加の注文だ!」
「ところで東区の螺子屋がなんだって?」
「その航路上にハーヴェンって港町があってな…」

 さて、その喧騒に追われた人々の合間合間をアカリが通り抜けてきたのは、じつにせっかちな商人達がみんな席に着いてからのこと。重い手荷物にゆらゆらと揺れるような足取りは、危なっかしくも遅すぎて、かえって誰にもぶつかることはないらしかった。

「こんにちは」

 今度こそ、酒場中の天地が入れ替わったような音が響く。一拍遅れて、アカリも思わず耳をふさいだ。
  「うるさいなあ」と唇だけをぱくぱくと動かし、ふさいだ耳から手を離しもせず歩き続けるアカリの後ろを、こちらも驚きで声を失った商人たちが一人二人十人と、彼女に手を伸ばしては、もつれ合って倒れていく。いっそ優雅なほどゆったりとした足取りで、待ち構えていたかのように空いていた中央の席を、靴のかかとで引いて座ると、ようやく、耳から両手を離した。

「銀霜鮭、ありったけ」

 その声を合図にして、わっと群集が席の間近へ雪崩れ込む。

「アカリちゃん!本当にアカリちゃんか!」
「そうじゃなきゃ誰に見えるってんです」
「モルト村の辺りですれ違ったゲルステの野郎がいつこの街に着いたと思う?――…二週間以上前だ!」
「あのひとはトット商でしょう、そりゃ抜かれます」
「いやあ、しかし無事で良かった」
「そうそう、あたしらアカリちゃんが心配で気が気じゃなくてさ」
「俺、なんで自分の商隊に乗せてかなかったのかって、母ちゃんに引っ叩かれてそりゃあもう!」
「へいお待ち」
「いただきます」
「うちの甥っ子が九つになってさ、ちょうどそんぐらいなんだもんなあ、アカリちゃん」
「ちっちゃい女の子が一人旅なんて無茶するんだからなあ、草原地域だってモストロは出るしよ」
「脂がのってて美味しいです」
「どうも」
「今頃、平原スライム相手に店でも構えてるんじゃねえかって話もねえ」
「メルドラゴンの腹の中で読書してるっつったのは誰だよ!」
「あと、三段キッシュもお願いします」
「毎度」

 空の器には骨も残さず、相槌代わりにバリバリと咀嚼音だけを返すようになったアカリも、「掛け金」という単語がちらほら漏れ出すと、聞き捨てならんと追加注文した大皿から顔を上げた。

「胴元は…ははあ、ユノさんですね…」

 全く、ひとの到着日数でよくそこまで盛り上がれるものである。恨めしげに見やれば、何人かの目が明らかに、十数人の目がそろそろと泳いだ。しれっとした顔をしている者も多いが、まあ随分儲けているらしい。可憐な顔をあくどく輝かせて笑う女商人を思い浮かべて、後できっちり分け前をせしめなければなるまいとひとつ頷き、アカリはくちくなった腹をぺろりと撫ぜた。
そのまま拗ねた振りをして、袖に隠しながら、空いたジョッキを手前に引く。

「よござんす。アカリ・トトゥルム、けちなことは申しません。この一杯をもって水に流しますから、みなさんもそのくらいは固い財布の紐解いて、景気よく罪償いをなさってください」

 朗々とうたいあげると、背の低い身体が場の全員に見えるように、他の商人たちの脇を抜け、アカリはかんかんと階段の中腹まで上がって振り向いた。
 ジョッキを掲げて返答をぐい、ぐいぐいと、振りながら、迫る。勘の良い商人も、あくせくしないアカリの動きは目で追ってしまうらしい。
 「お、おお、言うようになったねえ」「まあ、一杯くらいなら」「ひとり頭数フィルもかかりゃしねえよ、何ならもう何杯飲んでくれたって!」口々に上がる声に、むっと眉間に寄せていた皺をほどいて、アカリはふんわり笑ってみせた。

「では、わたしの到着と、グランノルディカ商業連合の好景気を祝して――乾杯!」

 かっこーん。
 ジョッキの中で打ち鳴らされた彼女の伝票札から出た音は、それはそれは景気良く、商会連合会館に響き渡ったという。

グランノルディカにて 前編

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